大野広幸写真の世界「夢・希望・明日」写真日記

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2005年 08月 12日

20年前の8月12日

d0037421_20511686.jpg 20年前の8月12日は日本航空のジャンボジェットが群馬県上野村御巣鷹の尾根に墜落した日である。
 20年前の8月12日は私の中では記憶に残る日になっています。その日は羽田空港の対岸の習志野の埋立地で、大阪から来た人と仕事を一緒にやっていました。一日中羽田空港に離発着する飛行機を眺めていました。(たぶん?墜落したジャンボジェットも見ています。)仕事が終わり、大阪から来た人は羽田空港へ行き、大阪までの「空席待ち」で帰るとの事で、夕方別れました。
 帰り道、車のラジオから日航ジャンボ機が群馬県と長野県境の「ぶどう峠」付近に墜落したと緊急ニュースが流れてきました。家に帰り、大阪の人が乗っていたかが心配でテレビから流れる搭乗者名簿を夢中になり見ていました。(翌日連絡が取れ、その便に乗りたかったのですが空席はなく新幹線で帰ったとのことでした)
 
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# by photo-ohno | 2005-08-12 22:02 | 写真日記
2005年 08月 04日

分校へ

d0037421_20152026.jpg 今から21年前に「埼玉の分校」の撮影が始まった。当時は県内に5校の分校があったが、一昨年の春に1校を残し閉校・休校になった。
 今日はテレビ局の打合せで5校の分校と当時の先生・父兄・子ども達と会ってきた。 閉校や休校になっている分校も1校を除き当時の校舎が残り、校庭は当時のそのままで時間がストップしたままであった。しかし、子ども達は20歳代になっていて長い時の流れを感じた。
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# by photo-ohno | 2005-08-04 20:13 | 写真日記
2005年 07月 30日

レモンです。よろしく・・・

d0037421_227635.jpg 我家に6代目のゴールデンチェリー『レモンちゃん』がやってきました。初代・2代目の『ミカちゃん』、『ピー太郎』は、天国で暮らしています。
 3代目の『ミカちゃん』がお出向かいしてくれたのですが、環境に慣れないせいで少し緊張気味。ミカちゃんが『ミカちゃん』『ピーちゃん』声を掛けるが人間語が通じず返事がない。
 夕方になってお腹が空いたのか急にご飯を食べ始める。お腹がいっぱいになると止り木で連続前回り。思わずの動作に笑ってしまいました。
  『ミカちゃん』『ピーちゃん』とお喋りするのは、初代のミカちゃんから代々受け継がれている。
 
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# by photo-ohno | 2005-07-30 22:28 | 写真日記
2005年 07月 23日

郷愁

d0037421_21531095.jpg 梅雨が開け、本来であれば夏本番が訪れているこの季節。西日本では本来の夏高気圧で30℃を超える気温が続くが、関東地方は25℃前後の気温で、夏が去ってしまったような感じ。何となく夕方になって聞く「ひぐらし」の声が淋しく聞こえてくる。
 埼玉県日高市で山百合の花を撮った。香りから、故郷の茅葺き屋根に咲いていた山百合の花を思い出してしまった。
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# by photo-ohno | 2005-07-23 22:06 | 写真日記
2005年 07月 18日

梅雨明け。

d0037421_20192387.jpg 四国地方からから関東地方にかけて一斉に「梅雨が明けた模様」宣言が出ました。
 私の住んでいる埼玉でも、午前中から30℃。午後になると35℃を超えて、いよいよ夏本番がやってきました。そんな暑い中、高校時代を思い出して「鉄チャン」をやりたくなって、新しく購入した(中古ですけど)ニコンD70を片手に、八高線の小川町か越生駅間の2両編成のディーゼル機関車を撮影に行ってきました。
 高校2年生の16歳の夏に、国鉄最後の蒸気機関車(SL)の営業運転を撮影しに、北海道に1週間行きました。テントと寝袋、重いアルミ製のカメラバックと三脚を担いで、上野駅から特急「はつかり」に乗って、青函連絡船で函館へ。急行を乗り継いで登別へ到着。24時間かかりました。当時、室蘭本線ではC57が客車を引っぱり、夕張線ではD51、幌内では9600が石炭を運んでいました。
 あれから今年の夏で30年の歳月が流れましたが、炎天下の中でも、遠くから聞こえてくる列車音のドキドキ感は忘れてはいませんでした。田んぼから渡ってくる風は、冷房よりも優しく気持ちよかったです。
 (明覚駅から小川町駅間の、下り高崎行き列車)
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# by photo-ohno | 2005-07-18 21:01 | 写真日記